サリエリゆかりの地をご紹介(1)ウィーン王宮礼拝堂 & 旧ブルク劇場

美しい花が咲きほこる初夏のウィーン(フォルクスガルテン)




新型コロナウィルス感染症の影響下により、イタリアやオーストリアも
徐々に戻りつつあるものの、日本から海外旅行に自由に行けるようになるまでは、
まだまだ時間がかかりそうです。

こうした状況下で、弊社ツアーも多くの企画・造成が思うように進めることが難しい状態にあるものの、
「サリエーリ(サリエリ)に逢いにいく」ツアーについては、企画が完成するまでの間、『サリエリゆかりの地をご紹介』と題しまして、オーストリア、イタリアを中心にゆかりの地を定期的にご案内していきます。


第1回目は「ウィーン王宮礼拝堂 & 旧ブルク劇場」


ウィーン王宮礼拝堂はこの建物の奥にあります。


ウィーンの宮廷楽長を長年務めていたサリエリ。
1278年から1918年まで続いたハプスブルク家の王宮(ホーフブルク)では、
ハプスブルク家のもと多くの宮廷音楽が繁栄しましたが、
サリエリは1788年の38歳以降、78歳までの約40年間ここで活躍しました。

その王宮の中に創設されたのが、王宮礼拝堂。
ハプスブルク家のプライベートな 礼拝堂で、こじんまりとしていますが、
その歴史は古く、現在もなお、毎週日曜日や祝日には礼拝が行われます。
ここはまさに、ウィーン少年合唱団のルーツであり、現在も礼拝の際には
歌声が響きます。



リハーサルにのぞむ合唱団員たち


礼拝堂の祭壇


サリエリの職務には、合唱団や宮廷楽団の練習、訓練も含まれていました。

「歌曲の王」としても知られるシューベルトとサリエリが出逢ったのも、このウィーン少年合唱団。シューベルトは11歳のときにサリエリの推薦を受け合唱団に入ります。入団後、メキメキと音楽的才能を開花させたシューベルトの音楽人生の背景にはサリエリの存在がありました。
シューベルトが合唱団を退団した後も、サリエリはシューベルトに個人レッスンを続けたと言われています。


王宮の外側(ミヒャエル門)



このミヒャエル門のあたりには、かつての旧ブルク劇場がありました。旧ブルク劇場は、ケルントナートーア劇場と並んで、サリエリの数々のオペラ作品が上演された劇場です。
モーツァルトのオペラ《後宮からの誘拐》《コジ・ファン・トゥッテ》《フィガロの結婚》の初演もここ旧ブルク劇場。
現在は、旧ブルク劇場は残っておらず(リンク通り沿いに移転)ミヒャエル門が後年建てられました。

王宮内にハプスブルク家の礼拝堂があり、隣接した場所には劇場が置かれ、数々の音楽家が活躍。ハプスブルク家の存在があっての、宮廷音楽の発展と繁栄が伺えますね。

王宮の外側には、現在もフィアカー(観光馬車)がお客様を乗せるために待機しています。
ウィーンの自由時間の楽しみとして、いかがですか??



投稿者名 カリスマ歌子 投稿日時 2020年06月10日 | Permalink