エディット・ピアフ没後50年
今年2013年はフランスの国民的シャンソン歌手、エディット・ピアフ(Edith Piaf 1915.12.19〜1963.10.11)の没後50年です。
パリ、ベルヴィル街で年若く貧しい両親のもとに生まれたエディットは、売春宿を営む父方の祖母の元に預けられて育ち、パリ郊外でストリート・シンガーとして活動をするようになりました。
20歳の時にナイトクラブのオーナーにスカウトされ、店で歌うようになりましたが、このとき、身長142cmという小柄で華奢な彼女に付けられたニックネームが「小さなスズメ(La Mome Piaf)」。後に芸名として名乗ることとなるピアフです。
華やかな交友関係、特にジャン・コクトーとの親交はよく知られるところで、コクトーはピアフのために脚本を書いています。やがて代表曲「ばら色の人生 La Vie en rose 」(1945)で大きな成功をおさめたピアフはフランス国内だけではなく世界的な名声を得、アメリカで「ばら色の人生」をカバーしたマレーネ・ディートリッヒとは生涯の親友となりました。
華やかな成功を収める一方で、ピアフが活躍した時代は第二次大戦と重なり、ピアフはドイツ占領下のレジスタンス運動に協力し、フランス兵捕虜の解放に貢献したことでも知られます。また2度の結婚、子供との死別、多額の借金、癌との戦いなど、波瀾万丈と言われる人生を送ります。
47歳で癌で世を去るまで、ピアフはシャルル・アズナヴール、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなど、新しい才能を発掘しました。
パリ20区の、彼女が歌っていたと言われる場所には現在ピアフ広場があり、彫像や親友ジャン・コクトーの言葉が刻まれたレリーフがあります。
「彼女は比類なく、後にも先にもエディット・ピアフは決して現れないであろう」
今年、ピアフの足跡を追ってフランスを訪ねてみませんか?