今日のBGMは『愛の賛歌』♪
この度、日本シャンソン協会さんのサイトに弊社の「エディット・ピアフ 没後50年シャンソン・メモリアルツアー」のバナーを貼っていただきました。
こちらの日本シャンソン協会さんのサイトでは、日本国内のシャンソンのコンサート情報や、シャンソンにまつわる様々な話題が掲載されていて、特にシャンソンの発声法や日本とフランスのマナーの違いなどの記事は読みごたえがあってとても面白いです。
日本シャンソン協会 http://www.j-chanson.jp/
サイト内でテレビ・ラジオ情報に掲載されている有線放送の番組「第51回・パリ祭出場歌手」特集「ジャパニーズ・シャンソン」も面白そうです。 7月1日から8月31日まで2か月連続でシャンソンの祭典、第51回「パリ祭」に出場する歌手の方々の歌声を特集。今回は戸川昌子さん、菅原洋一さん、美川憲一さん、加藤登紀子さん、山本リンダさん、クミコさん、佐々木秀実さんをはじめとした多くの出場歌手の皆様の歌声を、既存のCD音源からシャッフル放送、とのこと。
USEN I-30チャンネル 「ジャパニーズ・シャンソン」 http://music.usen.com/channel/i30/
個人的な感想ですが、ヨーロッパ映画などを見ていると、情緒的な感覚が日本人に近いな、と感じることがあります。情緒豊かなシャンソンが日本人に親しまれていることにも通じるかもしれませんね。
ところで、ここのところピアフ記念ツアーの話題が出ると、ピアフのメロディーが頭のなかを回り始めます。今日は『愛の賛歌』♪
“シューベルティアーデ”&ウィーン国立歌劇場オープニング 9日間<9月出発>
<font color="#008000">好評受付中!</font><font color="#008000">
</font><font color="#008080" size="3">大自然の中で行われる音楽祭“シューベルティアーデ”で</font>
<font color="#008080" size="3">シューベルトの代表作「水車小屋の娘」&「冬の旅」を鑑賞!
</font><font color="#008080" size="3">シューベルトのゆかりの地めぐり!(ウィーン&シュタイヤーほか)</font>
<font color="#008080" size="3">ウィーンでは、ウィーン国立歌劇場オープニングを飾るヴェルディの《椿姫》を鑑賞!!</font>
<font color="#0000ff" size="2">【“シューベルティアーデ”&ウィーン国立歌劇場オープニング 9日間<9月出発>】</font>
<font size="2">ウィーン3泊とシューベルティアーデ音楽祭会場に近いロイテのホテルでゆったり3泊のゆとりの音楽の旅</font>
<font size="2">ウィーンではシューベルトゆかりの地(シューベルトの生家、「菩提樹」を作曲したレストラン)にご案内、その後バロックの至宝「メルク修道院」を観光後、ピアノ五重奏曲「ます」が生まれた中世の面影が残る小さな町シュタイヤーにご宿泊いただきます。
後半は、インスブルック観光後、オーストリア・フォーアベルク州へ…フォーアベルク州シュヴァルツェンベルク近郊のホテルに3連泊!</font>
<font size="2">風光明媚な自然に囲まれた音楽祭を楽しみながら、ホテルライフもお楽しみいただけます。</font>
好評受付中です!2014ウィーンフィル ニューイヤーコンサート
【ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート ウィーン6・7日間<12月29日(日)出発>】
世界中で愛される新年の風物詩「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート」をご鑑賞いただくこちらのツアーのパンフレットが完成、現在好評受付中です。ぜひお早目にお問い合わせください。
【ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート鑑賞ツアー】
ヴェルディ生誕200年記念ツアー第3弾 10月出発「パルマ・ヴェルディ・フェスティバル」
生誕200年を迎えるイタリア・オペラの巨匠、ジュゼッペ・ヴェルディをテーマにしたツアーの第3弾です。毎年10月に行われる「パルマ・ヴェルディ・フェスティバル」を鑑賞します。
【音楽評論家 加藤浩子と行く ヴェルディへの旅 パルマ〜ミラノ〜ボローニャ 9日間<10月出発>】
【音楽評論家 加藤浩子と行く ヴェルディへの旅 パルマ〜ミラノ〜ボローニャ〜トリノ 11日間<10月出発>】
エディット・ピアフ没後50年
今年2013年はフランスの国民的シャンソン歌手、エディット・ピアフ(Edith Piaf 1915.12.19〜1963.10.11)の没後50年です。
パリ、ベルヴィル街で年若く貧しい両親のもとに生まれたエディットは、売春宿を営む父方の祖母の元に預けられて育ち、パリ郊外でストリート・シンガーとして活動をするようになりました。
20歳の時にナイトクラブのオーナーにスカウトされ、店で歌うようになりましたが、このとき、身長142cmという小柄で華奢な彼女に付けられたニックネームが「小さなスズメ(La Mome Piaf)」。後に芸名として名乗ることとなるピアフです。
華やかな交友関係、特にジャン・コクトーとの親交はよく知られるところで、コクトーはピアフのために脚本を書いています。やがて代表曲「ばら色の人生 La Vie en rose 」(1945)で大きな成功をおさめたピアフはフランス国内だけではなく世界的な名声を得、アメリカで「ばら色の人生」をカバーしたマレーネ・ディートリッヒとは生涯の親友となりました。
華やかな成功を収める一方で、ピアフが活躍した時代は第二次大戦と重なり、ピアフはドイツ占領下のレジスタンス運動に協力し、フランス兵捕虜の解放に貢献したことでも知られます。また2度の結婚、子供との死別、多額の借金、癌との戦いなど、波瀾万丈と言われる人生を送ります。
47歳で癌で世を去るまで、ピアフはシャルル・アズナヴール、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなど、新しい才能を発掘しました。
パリ20区の、彼女が歌っていたと言われる場所には現在ピアフ広場があり、彫像や親友ジャン・コクトーの言葉が刻まれたレリーフがあります。
「彼女は比類なく、後にも先にもエディット・ピアフは決して現れないであろう」
今年、ピアフの足跡を追ってフランスを訪ねてみませんか?