今日のBGMは『愛の賛歌』♪
この度、日本シャンソン協会さんのサイトに弊社の「エディット・ピアフ 没後50年シャンソン・メモリアルツアー」のバナーを貼っていただきました。
こちらの日本シャンソン協会さんのサイトでは、日本国内のシャンソンのコンサート情報や、シャンソンにまつわる様々な話題が掲載されていて、特にシャンソンの発声法や日本とフランスのマナーの違いなどの記事は読みごたえがあってとても面白いです。
日本シャンソン協会 http://www.j-chanson.jp/
サイト内でテレビ・ラジオ情報に掲載されている有線放送の番組「第51回・パリ祭出場歌手」特集「ジャパニーズ・シャンソン」も面白そうです。 7月1日から8月31日まで2か月連続でシャンソンの祭典、第51回「パリ祭」に出場する歌手の方々の歌声を特集。今回は戸川昌子さん、菅原洋一さん、美川憲一さん、加藤登紀子さん、山本リンダさん、クミコさん、佐々木秀実さんをはじめとした多くの出場歌手の皆様の歌声を、既存のCD音源からシャッフル放送、とのこと。
USEN I-30チャンネル 「ジャパニーズ・シャンソン」 http://music.usen.com/channel/i30/
個人的な感想ですが、ヨーロッパ映画などを見ていると、情緒的な感覚が日本人に近いな、と感じることがあります。情緒豊かなシャンソンが日本人に親しまれていることにも通じるかもしれませんね。
ところで、ここのところピアフ記念ツアーの話題が出ると、ピアフのメロディーが頭のなかを回り始めます。今日は『愛の賛歌』♪
エディット・ピアフ没後50年
今年2013年はフランスの国民的シャンソン歌手、エディット・ピアフ(Edith Piaf 1915.12.19〜1963.10.11)の没後50年です。
パリ、ベルヴィル街で年若く貧しい両親のもとに生まれたエディットは、売春宿を営む父方の祖母の元に預けられて育ち、パリ郊外でストリート・シンガーとして活動をするようになりました。
20歳の時にナイトクラブのオーナーにスカウトされ、店で歌うようになりましたが、このとき、身長142cmという小柄で華奢な彼女に付けられたニックネームが「小さなスズメ(La Mome Piaf)」。後に芸名として名乗ることとなるピアフです。
華やかな交友関係、特にジャン・コクトーとの親交はよく知られるところで、コクトーはピアフのために脚本を書いています。やがて代表曲「ばら色の人生 La Vie en rose 」(1945)で大きな成功をおさめたピアフはフランス国内だけではなく世界的な名声を得、アメリカで「ばら色の人生」をカバーしたマレーネ・ディートリッヒとは生涯の親友となりました。
華やかな成功を収める一方で、ピアフが活躍した時代は第二次大戦と重なり、ピアフはドイツ占領下のレジスタンス運動に協力し、フランス兵捕虜の解放に貢献したことでも知られます。また2度の結婚、子供との死別、多額の借金、癌との戦いなど、波瀾万丈と言われる人生を送ります。
47歳で癌で世を去るまで、ピアフはシャルル・アズナヴール、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなど、新しい才能を発掘しました。
パリ20区の、彼女が歌っていたと言われる場所には現在ピアフ広場があり、彫像や親友ジャン・コクトーの言葉が刻まれたレリーフがあります。
「彼女は比類なく、後にも先にもエディット・ピアフは決して現れないであろう」
今年、ピアフの足跡を追ってフランスを訪ねてみませんか?