加藤浩子の旅びと通信 第11回 「バッハへの旅」に向けて バッハとライプツィヒ その1 

 こんにちは、musicaです。
 およそ半年ぶりに、郵船トラベルの講師同行ツアー「バッハへの旅」
「ヴェルディへの旅」などでおなじみの加藤浩子氏による特別寄稿をお届けします。

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 こんにちは。加藤浩子です。
 「郵船トラベル」さんが主催する「バッハへの旅」で、同行講師を務めさせて頂いています。昨年今年と、ツアーは催行できませんでしたが、来年以降のリアルツアーの再開を見据えて、今月からこちらのサイトで「バッハへの旅」にまつわるエッセイを連載することになりました。どうぞよろしくお願いいたします。



聖トーマス教会


 
 「バッハへの旅」は、バッハ没後250周年の西暦2000年に第一回を実施し、以来(昨年と今年を除いて)毎年欠かすことなく続いている人気ツアーです。最初の年はなんと年に6回催行され、その後も年によっては複数回実施されることもあったので、現在までの合計は29回。別コースで始めた「続バッハへの旅」を入れると合計39回、参加者数は延べ857名に上ります。よく、「同じ方ばかりが参加されるのでしょう?」と聞かれますが、ほとんどは初参加の方です。それは、この数字からもお分かりいただけるのはないでしょうか。バッハはそれだけファンが多く、また現地へ行ってみたいという深い思いを抱かれる方が多いのです。


 「バッハへの旅」の目的は、「バッハゆかりの地を巡ること」、そして「現地でバッハの音楽を鑑賞すること」。「バッハへの旅」のスタンダードな行程は、生誕地アイゼナッハから終焉の地ライプツィッヒまでバッハの足跡を追い、「ライプツィヒ・バッハ音楽祭」を鑑賞する内容です。「ライプツィヒ・バッハ音楽祭」は毎年6月の開催なので、いつもだいたいこの時期は日本にいません。昨年、今年とこの時期を日本で過ごすのは、本当に久しぶりです。


聖ニコライ教会


 ライプツィヒ・バッハ音楽祭は、100年以上の歴史を持つ世界最大のバッハ音楽祭。現在の総裁は指揮者・オルガニストのトン・コープマンで、音楽祭の実際の責任者である芸術監督は、世界的なバッハ学者のミヒャエル・マウルさんが務めています。マウルさんは音楽学ばかりでなくマネジメント学も修めた運営のプロでもあり、さまざまな企画で音楽祭を活気づけています。今年は通常通りの開催が叶わないので、当初予定されていた音楽祭のメインプログラムである「バッハの救世主」と題されたコンサートシリーズを、全世界にライブストリーミングすることになりました。コンサートは無観客の予定でしたが、このところのドイツの感染状況の改善により、コンサートも有観客で行われることが急遽決定。ストリーミングは有料ですが、もちろん日本でも見られます。

音楽祭の詳しいプログラムはこちら


バッハ音楽祭のテント。音楽祭のチケットや情報が手に入る


6月のドイツはアスパラガスの季節

 「ライプツィヒ・バッハ音楽祭」の大きな魅力は、世界トップクラスのバッハ演奏家が参加するのに加え、ライプツィヒの旧市街とその周辺の歴史的な場所が会場になることです。バッハは1723年に、ライプツィヒの音楽界のトップである「聖トーマス教会カントール」という仕事につき、1750年に65歳で亡くなるまでこのポストにありました。「教会カントール」と言っても、礼拝の音楽の作曲、上演といった教会関係の仕事だけではなく、ライプツィヒの街が主催する祝典の音楽や、コーヒーハウスで開催されていた公開コンサート用のオーケストラ音楽や室内楽などいろんなジャンルの作品を作り、また自作を出版し、楽器を修理、レンタル、販売するなど、実に色々な仕事を手がけていました。大勢の弟子の面倒も見ていましたから、寝る暇もないほど忙しかったと思います。それに加えて、合計二十人の子供をもうけた家庭人でもあり、友人も多かったようですから、本当にいつ休んでいたのか不思議でなりません。一説によると、トーマス教会に隣接していた教会学校内にあったバッハの住まいの仕事部屋には、多忙なバッハが使う「立ち机」があったとか。ライプツィヒには、バッハの住まいこそ残っていませんが、活動していた場所がそこここに残っています。「バッハ音楽祭」では、それがコンサート会場として使われるのです。



聖トーマス教会にあるバッハのお墓


 
 もっとも象徴的なのは、バッハのメインの仕事場で、彼のお墓がある聖トーマス教会でしょう。街の真ん中に堂々と聳えるこの教会で、バッハは礼拝のための音楽を作曲、指揮していました。教会付属の少年合唱団である聖トーマス教会合唱団は、バッハの薫陶を受けた合唱団として有名です。彼らこそ、《マタイ受難曲》や《クリスマス・オラトリオ》に始まり、数々のカンタータの名曲をここで初演した合唱団でした。また、ドイツを代表する名門オーケストラで、ライプツィヒを本拠とするゲヴァントハウス管弦楽団は、かつてバッハが指揮していたコーヒーハウスのコンサートで活躍した楽団(その一部は教会音楽にも参加していました)の末裔です。ライプツィヒ・バッハ音楽祭では、これらバッハゆかりの名門団体を、実際にバッハが活動していた場所で聴けるのです。聖トーマス教会の近くに建つ聖ニコライ教会も、同じくバッハの活動の場であり、《ヨハネ受難曲》などが初演されたことで知られます。


バッハと親交があった商人ボーゼの家。現在はバッハ博物館や、バッハ・アルヒーフがはいる


 それ以外にも、ライプツィヒには、バッハゆかりの場所がそこここに残っています。
 バッハが「聖トーマス教会カントール」に就任する契約書にサインし、その後も度々訪れた旧市庁舎。バッハの友人でもあった商人のボーゼ一家の住まいで、現在は研究所や音楽祭事務所を含める「バッハ・アルヒーフ」の本拠となっている「ボーゼハウス」。バッハ当時のライプツィヒの豊かさの象徴として建てられた旧証券取引所。。。どの建物にもコンサートに使える空間があり、バッハ当時の雰囲気を偲びながら音楽に浸ることができます。

ライプツィヒは第二次世界大戦で破壊されたため、建物のほとんどは再建ですし、教会の空間も、バッハの没後に何度も改修されていて、そういう意味ではオリジナルではありませんが、かつてここにバッハがいて、活動し生活していたことは確かなのです。


ライプツィヒの旧市庁舎(左)。正面の黄色い建物は、かつての豪商アーペルの館


ライプツィヒの旧市庁舎内

 バッハ当時、ライプツィヒはドイツを代表する大都会でした。現在も続く国際的な見本市に象徴される商業都市で、1409年に創設されたドイツで2番目に古い大学でも有名だったこの街は、17世紀に起こった30年戦争の惨禍からも回復し、平和と繁栄を謳歌していました。旧市街に建ち並ぶ商人たちの豪邸は、その面影を伝えてくれます。

 日常を離れて、バッハとその時代のいぶきを感じさせる空間で愉しむ、一流演奏家によるバッハの音楽。それは「ライプツィヒ バッハ音楽祭」の最大の魅力です。ツアーに参加された方のなかに、音楽祭だけはまたきたい、というリピーターが現れるのも、納得してしまうのです。


旧証券取引所


旧市庁舎夜景


昨年、「バッハへの旅」のツアーを行うことができませんでしたので、せめて旅の気分だけでもお伝えしようと、12月に「バッハへの旅 オンラインツアー」を企画し、88名のご参加をいただくことができました。
 今年もツアーを実施することができなかったので、8月16日に、「バッハへの旅 オンラインツアー」の第2弾を計画しています。
ゲストは、ライプツィヒ・バッハ音楽祭にもたびたび招かれている、指揮者、オルガニストの鈴木雅明さんです。どうぞ、ご期待ください!
そして、来年こそはぜひ「バッハへの旅」を実施したく思っていますので、その節はぜひご参加をご検討いただければ嬉しいです。



(C) Gert Mothes 聖トーマス教会で開催された「バッハ音楽祭」のコンサートで演奏する聖トーマス教会合唱団

(C) Tomoko Hidaki

最後までお読みいただきありがとうございます。次回の配信もお楽しみに!


◆書籍のご紹介◆
「バッハ」(平凡社新書)
「バッハへの旅」(東京書籍)

加藤浩子氏プロフィール&過去ツアー実績、著書等の紹介はこちらから


「バッハへの旅」ツアーのことをもっと知りたい!という方は、
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投稿者名 musica 投稿日時 2021年06月11日 | Permalink