コールユーブンゲン

なかなか物が捨てられないたちで、古いものはン十年前のものもあります。
最近改めて目についたのが、中学、高校の音楽の教科書、授業で配られた楽譜、そしてコールユンブンゲン。
置いていても読み返すことは、めったにないのですが本当に久しぶりに開けてみました。
なつかしい!中の書き込みや挟み込みのプリントから当時楽しく懸命に学んでいたことが思い返されます。
今ではこの書き込みの意味も何?ですし、ましてや音やリズムを取ることもできそうにはありませんが。





コールユンブンゲンを開いていると、こんな出来事がよみがえってきました。
音楽の授業はとても好きで、普通科でしたが高校時代にも予習、復習も欠かさずやっていました。
そのせいか、課題曲はいつも歌いこなせてましたし、音域も広く声量もありました。
高校1年のある日、音楽の授業で私が歌っているのをたまたま聞いた担任のM先生が
英語教師なのになぜか「上手い!」と感動したらしく、クラスルームの時間にみんなの前で
大々的に褒め上げた果てに「音楽の道に進んではどうか、声楽家になれるぞ」と
勝手に音楽教師に音楽の道に進みたいらしい生徒がいるので特別指導願いたいと頼んでしまいました。
ほどなく音楽教師は私を呼び出し「声楽家になりたいって本当?ピアノは習っているの?」と
専門でもない英語教師から強引に授業外の特別指導を頼まれたことがよほど気に障ったのか、この上もなく不機嫌な調子で聞いてきました。
「いえ習っていません」と答えるや否や「この年齢でピアノ習ってないなんて絶対無理、あきらめなさい」とけんもほろろ。
そのヒステリックな言い方にさすがにムッとして、M先生に褒められ、ひょっとして音楽の道を目指すのもいいかも、なんて思いかけてた気持ちも一瞬でしぼみ
「M先生が勝手に言い出しただけで、私は音楽の道に進みたいわけではありません!」なんて啖呵を切ってしまいました。
音楽教師は「あら、そうなのね」と途端に優し気な声音に変わったので現金なものです。
でも大人になった今、思うのは当時10代です。そりゃあ幼少からの英才教育もなく一流の声楽家にはなれないでしょう。
だけど、たとえ10代スタートでも、努力次第で音楽関連の仕事に就くことはできたかもしれません。
そんな可能性を引き出そうとしてくれた英語教師のM先生は、少々強引でおせっかいでも、とてもいい先生だったなとしみじみ思うのです。
この時の音楽教師の様に「常識」にとらわれることは「可能性」というものを見逃すこともあるでしょう。
古いコールユンブンゲンを開き思うことは「いくつになっても遅いことはない」のでは、ということ。
ましてや10代学生のわずかな可能性を見いだし、夢を抱かせ、応援することはとても夢のあることです。
そんな常識にとらわれない、柔軟な思考を持った大人でありたいと思います。

なんだかもう一度音楽の勉強を始めてみようかな、なんてね。


投稿者名 Andante 投稿日時 2022年02月17日 | Permalink