若狭塗箸・箸の世界シェアは?
1日の中で、最低1回は箸を使う機会がありますよね。筆者は昼食と夕食には必ず箸を使います。家庭ではお気に入りの塗り箸を、外食の際は割り箸を使うことが多いのですが、昨今、ゴミを減らし地球環境にやさしい活動SDGs(持続可能な開発目標)を実践する店が多くなり、飲食店でも使い捨てではない箸を使うところが増えてきました。
さて、この箸文化は世界に目を向けるとどのくらいの人々が使っているのか調べてみました。すると世界の約30%の人が箸を利用していました。残りの30%がフォーク、ナイフやスプーンなどカトラリーを利用、残り40%がヒンズー教、イスラム教の信者に多く、手で食べる食文化でした。
箸を使うのは主に東アジアの食文化のようです。箸文化は中国発祥ですが、3世紀末に書かれた「魏志倭人伝」には日本人が手づかみで食事をしていたという記述が残っています。その後編纂された「古事記」にはスサノオノミコトが高天原を追放された後、出雲に降り立ち、川に箸が流れてきたのを見て上流に人が住んでいると知ったという記述があり、日本に箸文化が伝わったのは4世紀~7世紀の間ではないかと推察されています。
日本、中国の他、朝鮮半島や台湾なども箸を利用します。各国の箸は微妙に異なっており、日本の箸は先にいくにつれて細くなっていますが、中国や朝鮮半島では箸の太さが均一のものもあります。また朝鮮半島では金属(元来は銀製)の箸や食器が使われています。これはその昔、王族などの毒殺が横行し、薬物で銀が変色する性質を利用して毒殺を事前に防御したという説もあります。
現在、日本で使われている箸は木材や竹、プラスティックなど素材は多岐にわたります。今回、郵船トラベルのツアーで訪れる若狭は日本の塗り箸のシェア率80%にも及ぶ一大産地です。塗り箸とは様々な細工をした箸を漆で塗ってできた箸の事を指します
この若狭塗り箸は、江戸時代初期に発展をし、貝殻や金銀箔を漆で何度も重ねて塗ったあと、美しい紋様を研ぎ出します。あまりの美しさからお殿様やお公家様たちの間で利用されました。
郵船トラベルが贈る2021年3月28日発「奥琵琶湖のオーベルジュ“ロテル・デュ・ラク”連泊と若狭海の幸、桜満喫の旅」では伝統工芸を受け継ぐ匠たちが製作した高級品やモダンなデザインのものまでバリエーション豊富に取り扱っている箸匠せいわに立ち寄ります。また、若狭塗箸の最終工程である磨きの段階を体験いただけます。
みんなに喜ばれる箸の世界をのぞいてみませんか
若狭から京都へ~鯖街道の贈り物~
「鯖(サバ)」お好きですか? 近年鯖は、記憶力向上、認知症予防、動脈硬化の予防など健康増進食材としても注目されています。
さて、京都の祇園新地「いづう」の鯖姿寿司は最高級品として京都随一の人気を誇ります。(筆者も大好きなのですが気楽に買えるお値段ではありません・・・)。この「いづう」の鯖姿寿司は京都の人がハレの日にいただく特別な逸品ですが、現在では大衆魚の鯖がここまで出世した秘密を探りたいと思います。
若狭をほぼ東西に走る「丹後街道」は、東は越前敦賀、西は丹後の舞鶴あるいは宮津までの幹線道路でした。「若狭街道」は、大陸文化の玄関としての小浜から若狭町の日笠を通り、熊川宿を経て、滋賀県高島市朽木を越え、大原八瀬より京都御所への道です。
京都の最終地点は出町柳とされており、賀茂川と高野川が出合うあたりに石碑が立っています。
この「若狭街道」のことを別名、鯖街道といいます。名前だけを聞くと、「ん??なんの道??」と思われると思います。鯖街道はその名の通り、若狭湾で捕れた鯖が運ばれてきた道です。水揚げされた鯖は京都へ運ばれ、御所へ献上されました。その後、庶民の間でも広く賞味できることができる食材として広く普及しました。
鯖街道は奈良に都があった平城宮、明日香宮の時代から利用されていたそうで、起源は1,300年に遡ります。
鯖は「生き腐れ」と言われ、水揚げすると鮮度が落ちやすい魚です。内陸の京都ではなにより新鮮な海の魚が重宝されていましたが、傷みやすい鯖を冷凍庫もトラックもない時代に若狭湾から運ぶため、塩漬けや酢〆などの加工が発達しました。若狭で塩漬けした鯖は京都に着いたころ、ちょうど良い塩加減になったと言われています。
鯖寿司は滋養強壮を高める食として江戸時代に京都の花街で大流行となりました。徒歩で運ばれ、選び抜かれた貴重な鯖を、冷めても美味しい近江米、北前船で運ばれた昆布で巻き、京都の料理人の技でハレの日に相応しい逸品となり、竹の皮で包まれたその姿は贈答品としても使われる京都の美意識そのものです。現在にもその技は引き継がれています。
鯖街道の起点は小浜のいづみ町商店街あたりとされていて「京は遠ても十八里」(約72km)と記載されたプレートが埋められています。若狭と京都はきわめて深い関係にありました。
郵船トラベルが贈る2021年3月28日発「奥琵琶湖のオーベルジュ“ロテル・デュ・ラク”と若狭海の幸、桜満喫の旅」では1日目に京都から出発し、2日目に熊川宿を経由して、鯖街道を通り、小浜を訪れます。鯖が運ばれた歴史に思いを馳せながら、旅をお楽しみください。
夏山や 通ひなれたる 若狭人 与謝蕪村
近江商人「三方よし」に学びましょう
近江商人というと何を連想しますか。口がうまくて「なべぶた」を売りつけるあくどい商売で大儲けする商売人?? いえいえ、まさに真逆、今こそ彼らに学ぶべきと言っても過言ではないほどの大変な精進と信念を持って日本の近代経済を支えた偉人達なのです。
1988年の映画「てんびんの詩」では裕福な近江商人の息子が「なべぶた」売るまで家に戻ることができない厳しい商人修行の様子が描かれ話題になりました。この映画は企業や学校の教育研修教材にも利用されているのでご存じの方も多いかもしれません。
近江の国(滋賀県)は東海道、中山道、北国街道など中世より主要街道が通り、さらに琵琶湖が水路ともつながり、農産物、海産物、織物、材木などありとあらゆる物流の拠点でした。江戸時代になると、商人の活動は全国にも及び、その流れは現代にも続いています。
このような地理的環境から近江商人の流れを汲む企業は流通系、商社系が多く、西武グループ、高島屋、伊藤忠商事、丸紅、トーメン(現豊田通商)など。また、繊維系では女性下着のワコール、ふとんの西川など現在も多くの著名企業が活躍しています。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」この標語を基に活動していく近江商人は、とても仁徳あふれる人々です。売り手と買い手の同意の他、世間によい影響を与えることをモットーに商売をしていました。現在でいう所の企業の社会的責任です。昔よりこの考えがあったとは驚きですね。この偉大な近江商人の語録をご紹介します。
陰徳善事(見返りを期待しない功労)
陰徳とは、売名行為の類ではなく、人知れず人の為になるような行為を言います。近江商人が行ったものには、神社仏閣への寄進、橋の架け替え工事等々、数多くあります。
お助け普請(公共事業・環境整備への参画)
近江商人は地場産業の育成や地域の活性化があってこそ商いが行えました。よって、お互い様という観念や地域への貢献を疎かにすることはありませんでした。今で言う公共事業的なものを率先して実施しています。
押込隠居(悪徳経営者の更迭)
先祖の苦労の賜物により今日の繁栄があるのであって、主人としてはわずか30年ほどの間、奉公する身と思い、家業を守り商いの繁栄に勤めるようにと伝えています。店の運営も、店と個人(主人)は別々のもので主人の私有財産ではないと考えられていたため、独断で物事の決定は行われず、今で言う取締役会で開かれていました。
よって、不的確な人物なら主人の座を追放や相続権の剥奪等の事例もあります。
近江商人は自分の事ばかりではなく、周りの事を思って行動する人たちです。現代を生きる我々も見習うことで、もっと素敵な社会が生まれていきます。
この近江商人のお膝元に郵船トラベルが贈る2021年3月28日発「奥琵琶湖のオーベルジュ“ロテル・デュ・ラク”連泊と若狭海の幸、桜満喫の旅」で訪れます。近江商人に思いをはせながら旅をお楽しみください。
*語録として紹介したのは、近江八幡観光物産協会様のホームページより引用させていただきました。( )内は筆者が加筆しました。
生きる化石?美しいメタセコイア並木
メタセコイアという木をご存じですか?メタセコイアは、中国原産、スギ科メタセコイア属の落葉高木で、和名はアケボノスギ。最大樹高が115mにも及ぶといわれるセコイアにその姿が似ていることから、メタ(変形した)セコイアと名づけられています。セコイアとの決定的な違いは紅葉し、落葉すること。マキノピックランドのメタセコイア並木は春の芽吹き・新緑、夏の深緑、秋の紅葉、冬の裸樹・雪花と四季折々に訪れる人々を魅了します。
メタセコイアは化石として発掘されることも多く、シーラカンスなどと同様の生きている化石としても有名です。太古には日本でも自生していたそうですが、約80万年前に絶滅したとされています。1945年、中国四川省で自生地が発見され、その後、日本にも持ちこまれ、育てやすさや見た目の良さから、各地に植樹されるようになりました。
カタカナの町、滋賀県高島市マキノ町にある農業公園、マキノピックランドを縦貫する町道沢牧野線と同様に続く県道小荒路牧野沢線には、延長2.4kmにわたってメタセコイアが約500本植えられ、遠景となる野坂山地の山々とも調和し、マキノ高原へのアプローチ道として高原らしい景観を形成しています。1994年、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定され、衆目を集めるに至っています。
マキノピックランド周辺には果樹園があり、関西圏では珍しい初夏のサクランボからブルーベリー、ぶどう、くり、さつまいも、りんごと旬の果物の収穫体験が行えます。パークゾーンのセンターハウス内には野菜直売所、手作りジェラートアイスやお土産売店もあり地元ならではのお買い物も楽しめます。
郵船トラベルが贈る2021年3月28日発「奥琵琶湖のオーベルジュ“ロテル・デュ・ラク”連泊と若狭海の幸、桜満喫の旅」では、国内でも有数のメタセコイア並木をご観覧いただけます。マキノピックランドで少しお時間をお取りしますので、一般には流通しないアドベリーを使ったジャムやお菓子など、高島市でしか買えないものを探してみてはいかがですか。
八幡堀と「たねや」
滋賀県を代表する老舗菓子店といえば「たねや」。2004年のとんねるずのTV番組の中で、松田聖子がお土産に「たねや」のわらび餅を持ってきたことで一挙に有名になりました。今や東京から福岡まで40店舗以上、有名デパートなどに全国展開し、一度は賞味された方も多いかと思われます。この「たねや」の創業地は滋賀県の近江八幡市にあります。
近江八幡市を流れる水路、八幡堀は天正13年(1585年)に豊臣秀次(秀吉の甥)が八幡山に城を築き開町したことに始まります。秀次の居城となっていた、八幡山城の城下町に建設された水路かつお堀です。この水路は全長4,750m、なんと琵琶湖まで繋がっており、近江商人の間で活発に利用されました。
長年活用された水路も物流手段が陸路に変わり、昭和の高度成長期には荒廃してしまいました。無用の長物として堀を埋める計画もあったのですが、地元市民の尽力により整備され、現在は江戸時代を彷彿とさせる街並みに蘇り、白壁の土蔵や旧家が立ち並び、春は堀にかかる桜が美しい観光スポットとなっています。また、水戸黄門や遠山の金さん、暴れん坊将軍などの数々の時代劇のロケが行われ、最近ではNHK朝の連続ドラマ「あさが来た」や「るろうに剣心」などのロケ地にもなっています。
「たねや」は元々近江の材木店であったのですが、江戸時代から根菜類の種子を扱うようになり、「たねや」と呼ばれるようになりました。和菓子を始めたのは1872年、その後1951年より洋菓子に挑戦します。きっかけは近くに居住していた著名建築家ヴォーリズ。パーティに招かれ、交流する内に洋菓子やパンの作り方を学んだそうです。和菓子店「たねや日牟禮乃舎」のすぐそばにある洋菓子店「クラブハリエ日牟禮館」では今や名物となったバームクーヘンを求める人で賑わっています。
郵船トラベルが贈る2021年3月28日発「奥琵琶湖のオーベルジュ“ロテル・デュ・ラク”連泊と若狭海の幸、桜満喫の旅」では、最終日に八幡堀に訪れます。「たねや日牟禮乃舎」にも立ち寄ることもできますので、散策の合間にここでしか買えないタコ焼きそっくりの「つぶら餅」を賞味されてはいかがでしょう?
有名な作品のロケ地になるほど、情緒あふれる風景や美味しいお菓子のお買い物などをお楽しみください。