高知の由来

高知城天守閣


南海道の銘城「高知城」。(1611年完成)1723年に大火により、大部分を焼失してしまうが、1753年に再建を果たしました。現存する天守と本丸御殿を当時(1753年)のまま保存できているのは「高知城」のみです。また城の正門とされる追手門と天守が一緒に写真に収めることができる貴重な城です。

この高知城ですが、昔は「河中山城」(こうちやまじょう)と呼ばれていました。小高い山の上(標高44m)に築城されました。しかし、川に挟まれていることから城下では水害が多く、「水」と関係が深い「河中」(こうち/川の間・中を意味する)を土佐藩2代藩主は嫌い、「高智山城」と改名しました。
いつの間にか山が抜け、高智城と呼ばれるようになり現在の高知県の由来になりました。

1871年の廃藩置県で高知県が誕生し今年で150年。高知という名称は愛されつつも、旧国名・藩名がこれほどまでに現代の日本に浸透し続けているのは「土佐」が日本一でしょう。ツアーで「土佐」の魅力を感じてください。

郵船トラベルが主催する「土佐の偉人 岩﨑彌太郎・坂本龍馬ゆかりの地を巡る 高知2泊3日」では、高知県の由来となった「高知城」をガイドさん同行で天守や遺構を見学することができます。現在に至る、貴重な文化財を見に行くぜよ!


追手門と天守


投稿者名 ペンギン君 投稿日時 2021年01月19日 | Permalink