今夜はお祭り騒ぎ

大湊を出港した6月6日の夕食後のひととき、いつもはコンサートやマジックショー等が行われるドルフィンホールでは、「にっぽん丸船上夏祭り」が行われました。
今夜はお客様が舞台の主役です。盆踊り、屋台に縁日なんでもありのお祭りです。


「にっぽん丸チャータークルーズ」では恒例となったこの夏祭り、お祭りのハイライトは何と言っても盆踊りです。
ねじり鉢巻き勇ましく、にっぽん丸スポーツエクササイス担当の高橋さんがやぐらの上からお客様をリード。太鼓の生演奏でお客様を盛り上げるスタッフの渡辺さんのバチさばきも鮮やかで、みなさんの踊りも冴えます。
盆踊りに自信のない方も、夕食の前に練習会があり、「東京音頭」や「炭坑節」をみんなで合わせたので、本番は見事な揃いっぷりでした!


いつものカジノコーナーは縁日に早変わり。麻雀牌ビンゴや、ボール投げ、ねらった目が出ると商品をもらえる「サイコロチャンス」が大盛り上がり。ルーレットは祭り化粧で、カジノディーラーは浴衣姿です。

祭囃子の喧噪も終わる頃、にっぽん丸は青函海峡を航行し、いよいよクルーズの終盤となる太平洋へと舵を切って進んで行きます。


投稿者名 アヒル船長 投稿日時 2016年07月19日 | Permalink

本州北のはての下北ワイン

にっぽん丸の日本一周クルーズ、この日6月6日は大湊に寄港中です。

鉄道でいうと大湊は本州北の終着駅。
この先は線路がなく、あの有名な恐山のある荒涼とした土地をイメージしますが、意外なことに、ここにブドウ畑とワイナリーがありました。下北のワインです。


冬は雪にとざされ、初夏でも「やませ」が吹くと一気に気温が下がってしまうこの地域ですが、陸奥湾の水深が浅いため、太陽熱で暖められた海水の影響で気温が保たれ、周辺でのブドウ栽培が可能となっているのだそうです。
除草剤を一切使用せず、減農薬(青森県認定)でワイン造りに取り組んで、ワイン作りを成功させ見事賞まで取ったワイナリーです。


さて、お味見です。
遅い春と短い夏のおよそ100日で育った、ビノ・ノワール品種の赤ワイン。
涼しい気候を好み、早熟であるピノ・ノワールは温暖な気候で栽培するとかえって成熟しすぎ香りが飛んでしまうので、下北での栽培には向いているようです。
ただし、大変デリケートな品種なので栽培も難しいそうです。
ライヒェンシュタイナー品種を使用している白ワインは、少し甘口でデザートを頂いているようなワインでした。

今回、オプショナルツアーで訪れたお客様も、ワイナリーで試飲し、その美味しさ知ると皆さん購入されていました。


投稿者名 アヒル船長 投稿日時 2016年07月19日 | Permalink

蝉と小鳥の合唱会に癒されて

避暑地、八ヶ岳高原より

関東地区の避暑地と言えば、那須、軽井沢と八ヶ岳になるでしょうか、、、。今回、八ヶ岳へ足を運びましたが、自然の中では小鳥がさえずり、そして既にこの時期に泣き始めた蝉の合唱で、自分の耳が浄化された気持ちになりました。労働者にはONとOFFが必要ですね。さて、クルージングで心身共に浄化していただき、夏以降、健康を維持しながら新しい事にチャレンジしてみてください!夏場にてまだまだご用意できる商品はありますよ!


投稿者名 ねずみ 投稿日時 2016年07月18日 | Permalink

大湊に入港

日本一周クルーズ中のにっぽん丸は、6月6日の朝8時半、快晴の青森県のむつ市大湊港に入港しました。


にっぽん丸は昨年のゴールデンウィークに初寄港して以来400日ぶり、2度目の寄港とあって、「おかえりなさいにっぽん丸」の横断幕を掲げて、市民300人の方々による盛大なお出迎えをいただきました。


むつ市のゆるきゃら「ムッシュ・ムチュラン1世」と夫人の「マダム・ムチュリー」愛娘のプリンセス・ムチュリンもそろいぶみ。


「歓迎 郵船トラベル にっぽん丸」と書かれた手作りの看板や皆さんの温かいお出迎え、これほどの準備をするのに一体どれだけの時間がかかっただろうかと思うと心が熱くなります。
乗船されたお客様にもきっと同じ気持ちになって頂いた事でしょう。


入港後の歓迎式典には、むつ市長の宮下宗一郎氏を始め、青森県やむつ市の方々にご列席頂き、市長からにっぽん丸の管船長に特産のホタテが贈呈されました。このホタテは、にっぽん丸船内で調理され、お客様に提供されます。
むつ市の宮下市長は、37歳のエネルギッシュな市長で市長自ら大湊寄港前ににっぽん丸に乗船し、船内で大湊、むつ市の観光案内をして頂きました。
船内では下北のワインの試飲会で大いに盛り上がりました。


投稿者名 アヒル船長 投稿日時 2016年07月17日 | Permalink

佐渡金山で金の延べ棒つかみ取り!?

6月5日、にっぽん丸は佐渡島に停泊中。寄港地観光で佐渡金山に来ています。

歴史では佐渡は流刑地。大河ドラマや時代劇で「佐渡送り」とは、重罪人が罪の償いとして金山の労働力として酷使され一生を終えることとして描かれます。(ドラマなどではかなり脚色も入り実際とは違う部分もあるようですが。)

そんなドラマチックな要素に満ちた佐渡金山とはどんなところだったのかというと…

佐渡金山では1601年に金脈が発見され、江戸幕府の所領となって以来、幕府の財源を支えるだけでなく、世界にも知られるようになるほど大量の金と銀が産出されました。江戸から平成まで388年間に産出した金は78トン、銀2,330トンにのぼり、まさに日本最大の金銀山でした。

坑道は東西3,000メートル、南北600メートル、深さ800メートルに渡って、まるでアリの巣のように拡がります。その総延長は何と約400キロメートルに及び、佐渡~東京間の距離と同じだそうです。


当時の史跡として公開されている、道遊坑、宗太夫坑の中へ。
採掘当時を再現した人形などが展示してあり、当時の様子を知ることができます。

鉱山では通常、坑道を掘り進むと湧水が出ます。この水を運び出す役割を担っていたのが「水替人足(みずかえにんそく)」と呼ばれる人々ですが、真っ暗な中で海底よりも深い地底に延びた坑道に噴出する湧水を運び出す労働が如何に過酷だったかが伺えます。
水替人足は過酷な仕事ゆえに賃金も良かったようですが、あまりの重労働に次第になり手が少なくなり、やがて罪人が働き手として送り込まれるようになったのだそうです。このように水替人足として送り込まれることを「島送り(佐渡送り)」と言い、昨日のブログで書いたような知識人に対する流罪である「島流し」とは区別されるそうです。


女性の手では持ち上がりもしませんでした

坑道を出た後の金山資料館では、金採掘の流れや町並みなどを再現しています。
ここで面白いものを発見しました。その名も「金塊チャレンジ」。アクリルの箱に入った金塊を小さな穴から取り出すのですが、羊羹ほどのサイズでも重さ12.5キロもある金塊は、男性でも片手で半分持ち上げるのも大変です。そして首尾よく持ち上げることができても簡単には取り出せません。金塊を上から握るように持つと穴に手が引っかかってしまうのです。
では、どうするか? 指先に金塊を乗せるしかありません。
見事金塊を取り出すことが出来ると金塊をお持ち帰り出来る! 
そんなはずがなくちゃんとガードマンが見張っています。成功すると記念品がもらえるそうです。

金のアヒルですか、銀のアヒルですか…?


投稿者名 アヒル船長 投稿日時 2016年07月16日 | Permalink