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日本郵船のドライカレー Vol.3〜南極ドライカレー〜

オーナーでシェフの篠原洋一氏

オーナーでシェフの篠原洋一氏

根岸線関内駅北口から伊勢崎町モール方向に向うと丸亀製麺という大きな看板が見えてきます。その裏手にあるビルの地下1階に「南極バーMirai」がありました。
ご案内頂いた松井さんの顔を見て厨房からひょっこり出てきたのはここのオーナーでシェフの篠原洋一氏でした。どこかで見覚えのある顔でしたがすぐに思い出した。篠原さんは以前客船「飛鳥」と「飛鳥II」で和食のチーフシェフとして乗船していたことがあります。筆者もかつて飛鳥で寄港地ツアー担当者として乗船したことがありましたが、飛鳥の乗組員休憩室(通称畳ルーム)で乗組員を集めてご自分の撮影された南極のビデオを見せてくれたことがあるからです。


郵船式ドライカレーを進化させて考案した南極ドライカレー

郵船式ドライカレーを進化させて考案した南極ドライカレー

「何かすごい経験をされている方だな」と思いながらビデオを見た当時の記憶が蘇ってきましたが、篠原氏は第33次と第50次の2回南極観測越冬隊の調理隊員として越冬経験があり、南極での越冬期間も海上自衛隊の艦船にならって毎週金曜日の昼の献立をカレーにして出していたそうです。越冬生活が長くなると曜日の感覚がなくなるので出されたカレーで「今日は金曜日か」と気がつく隊員もいたそうです。尚、飛鳥での世界一周は飛鳥・飛鳥IIを含めると通算なんと9回も経験したそうです。


南極や飛鳥IIの世界一周の話を聞きに【Mirai】に南極ドライカレーを食べに行ってみてはいかがでしょうか?尚、郵船トラベルでは【南極ツアー】や【飛鳥IIのワールドクルーズ】を取り扱っておりパンフレットも置いています。ここは南極や世界一周クルーズへの入口になるかもしれませね・・・。
南極バーMirai
横浜市中区吉田町2−7 VALS吉田町 B1階
電話:045−326−6475


画像(180x135)・拡大画像(360x270)

元飛鳥の波多野船長や脇屋機関長(現日本郵船歴史博物館副館長)のサイン入り写真も展示されています。

画像(180x135)・拡大画像(360x270)

トイレの壁には飛鳥と飛鳥IIの世界一周で撮影された写真が一面に張られています。



投稿者名 影の横浜情報屋 投稿日時 2013年10月21日 | Permalink

日本郵船のドライカレー 〜氷川丸ドライカレー〜Vol.2

そんな日本の洋食文化の礎を築いた豪華客船の味を「幻の西洋料理ドライカリー」として甦らせたのが「郵船ナブテック株式会社」がレトルトパックとして販売している【氷川丸ドライカレーシリーズ】です。郵船ナブテックの松井部長によればかつて「氷川丸」で多くの人々を魅了した伝統のレシピに基づき、レトルトカレーとして忠実に復刻させたそうです。


横浜市長賞を受賞した「氷川丸ドライカレーシリーズ」

横浜市長賞を受賞した「氷川丸ドライカレーシリーズ」

この度、ヨコハマ・グッズ「横濱001」という横濱ブランドを審査・認定する審査会において2013年度・2014年度の横浜市長賞を獲得しましたと胸を張って説明してくれました。

通信販売でお手軽に購入できるとのことですが、店頭でも日本郵船歴史博物館のショップや日本郵船氷川丸の売店、高島屋の一部店舗でも販売されているそうです。一度、「ありし日の豪華客船伝統の味」をご賞味してみてはいかがでしょうか?
客船厨房秘伝の味 氷川丸ドライカリーシリーズ
フリーダイヤルからのお問い合わせ、ご注文はこちら。
TEL:0120-07-2109


氷川丸ドライカレー調理例

氷川丸ドライカレー調理例

話の最後に、「このドライカレーを食べさせてくれるお店があるといいですね?」と質問すると、「実は関内駅そばに伝統の味を受け継いだレストランがあるんですよ」と教えてくれました。早速、仕事が終わった後にご案内していただけることになりましたが、そこでは思わぬ展開が待っていたのです。(続く)

日本郵船のドライカレーVol.1はこちらです。


投稿者名 影の横浜情報屋 投稿日時 2013年10月16日 | Permalink

日本郵船のドライカレー

欧州航路で運航されていた「三島丸」 「郵船式ドライカレー」は船上で日本人コックが考案されたと伝えられています。(資料提供:日本郵船歴史博物館)

欧州航路で運航されていた「三島丸」 「郵船式ドライカレー」は船上で日本人コックが考案されたと伝えられています。(資料提供:日本郵船歴史博物館)

郵船トラベルクルーズセンター横浜のある日本郵船歴史博物館周辺を歩くとカレー専門店やインド料理店などカレーが食べられるお店が実に多いことに気がつきます。喫茶店でもカレーライスをお店の看板メニューにしていたりします。何故このように「カレー」を提供しているお店が多いのでしょうか?どうやらこれは、関内界隈が港町であることに起因しているようです。


絵柄も美しい「三島丸」のディナーメニュー(資料提供:日本郵船歴史博物館)

絵柄も美しい「三島丸」のディナーメニュー(資料提供:日本郵船歴史博物館)

毎日大海原を行く船では船員が曜日の感覚を忘れないように毎週金曜日に船の食事としてカレーライスを提供していたことは良く知られていますが、横浜港大桟橋周辺でも船の食事として定着したカレーを食べさせるお店が次第に増えていったと考えられます。まさに船の歴史とともに発展してきた街だからかも知れません。


「三島丸」のディナーメニューの拡大写真 一番下の行に「Dried Curries」という英文が読み取れます。(資料提供:日本郵船歴史博物館)

「三島丸」のディナーメニューの拡大写真 一番下の行に「Dried Curries」という英文が読み取れます。(資料提供:日本郵船歴史博物館)

日本郵船でも戦前より欧州航路の客船にて「ドライカレー」として提供されてきたようですが、「郵船式」と呼ばれるこのドライカレーのルーツを辿ると明治44年にまでさかのぼります。当時の欧州航路の日本人コックが考案したと語り継がれていますが、チャーハンのようにカレー粉をご飯に混ぜていためたものとは異なり、ひき肉や野菜のみじん切りをカレー粉とともに煮詰めたものをご飯にかけて食べるものでオリジナリティ溢れる人気メニューであったようです。(続く)
参考文献:「日本郵船 航跡 ドライカレーと福神漬け」より


投稿者名 影の横浜情報屋 投稿日時 2013年10月07日 | Permalink