日本郵船の絵葉書から(Vol.2)
「こんなものもありますが・・・」と言って何やら大切そうに広げて見せていただいたのは「汽船号」という山口幸助廻船問屋の商船取り扱い一覧表でした。
「汽船号」なる言葉は初めて聞きましたが辞書で検索しても出てきません。さらに、戦前の客船の当時のメニューやデッキプランなどがファイル数冊分に収蔵されていました。
一番驚かされたのは昭和13年10月、旧日本海軍の造兵少佐黒田捨三氏が日本郵船「箱根丸」で日本からマルセイユに向かった時の船内記録のファイルでした。黒田氏は大変几帳面な性格だったようで乗船前に宿泊した旅館の領収書に始まり、電報文や船内のデッキプラン、スケジュール、メニュー、船内アクティビティプログラムなど毎日船内で配られた資料が1冊のファイルにまとめられていたことです。当時の船内の様子を知る上でも大変貴重な資料で、博物館の学芸員が見たら泣いて喜ぶに違いありません。(続く)
日本郵船の絵葉書から
クルーズ客船に乗ると客室のデスクの上にはたいてい自由に使用できる絵葉書が備え付けられています。
日本郵船の客船でも「御乗船記念絵葉書」が戦前より作成され船客に配られていました。船や船内のイラスト、寄港地の風景、日本の風物を描いた物など色使いやデザインとも美しいものばかりで定評がありました。
日本郵船歴史博物館ではこうした復刻版絵葉書がミュージアムショップで販売されています。オリジナルの絵葉書は展示してあるものも含め、3,300枚以上が収蔵されているそうです。
この度、こうした船に関する絵葉書を収集している方がおられることを知って田園都市線の宮前平まで行ってきました。
元横浜税関職員である笠原喜保氏宅の居間に案内されましたが、見せていただいた枚数は想像をはるかに超えていました。
旧横濱港駅のプラットホーム
JR桜木町駅の構内に桜木町駅の歴史を辿った写真が展示されていますが、その中の1枚に昭和45年頃横濱港駅行き最後のD51列車の写真が掲げられています。かつて横浜の赤レンガ倉庫の脇に「横濱港駅」という船客専用ホームが実在していたのです。
「横濱港駅」は明治44年に横浜税関構内の荷扱所としてつくられ、大正9年に「横濱港駅」となり、東京駅からの汽船連絡列車も行き来するようになりました。臨港列車の第1号は大正9年7月23日にシアトルに向けて出港した日本郵船の「香取丸」でした。そして関東大震災復興後の昭和3年には外航ターミナルのプラットホームが設けられ、華やかな海外航路の最盛期を迎えました。今ではそのホーム跡が保存され「赤レンガパーク」の休息所となっています。文化遺産的価値あるものです。赤レンガ倉庫にお越しの際はぜひお立ち寄り頂き、往時の客船全盛時代を偲んでみてはいかがでしょうか?
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